はじめに

デヴィッド・グレーバー「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論」を読んだ。

デヴィッド・グレーバーの前作「官僚制のユートピア」を読んで1面白かったので、次作の「ブルシット・ジョブ」を手に取った。 結構有名な本らしい。

序 ブルシット・ジョブ現象について

メモ

この本は「社会は無益な仕事であふれかえっている」という著者の直感を確かめることから始まる。 「ブルシット・ジョブ現象について」という記事を雑誌に書いて、著者はその直感を世に示した。 この記事を書いたことで、様々な分野から自身の仕事がブルシットであるというメッセージが寄せられた。 これによって、著者は無益である仕事が社会に溢れかえっていることを確信し、その思考を発展させてこの本にまとめた。

感想

本の書き出しとしてすごく面白い。 人間の思考とは直感から始まるので、こういう書き出しは楽しく読める。 論文もこういう感じで書いてくれたらいいのに。

1 ブルシット・ジョブとはなにか?

メモ

この章では、「ブルシット・ジョブ」について定義づけを行っている。 軍隊の部屋の引っ越しや美容師やマフィアの殺し屋などいくつかの仕事を例に挙げて、それらの仕事がブルシットかどうかを判断し、ブルシット・ジョブの定義を行っている。

「ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。」

感想

それぞれの働き手の主観によって定義づけするのが良くないみたいな議論があった。社会学だとそういうもんなのかな。

2 どんな種類のブルシット・ジョブがあるのか?

メモ

この章ではブルシット・ジョブの分類を行っている。 ブルシット・ジョブを「取り巻き」、「脅し屋」、「尻ぬぐい」、「書類穴埋め人」、「タスクマスター」に分類している。

「取り巻き」:誰かを偉そうに見せたり、偉そうな気分を味合わせるという、ただそれだけのために存在している仕事。 例としてブローカーの代理で電話をかけるためだけに雇われている人を紹介している。 この人は「〇〇さんの代理としてお電話差し上げました。」っていうことで〇〇さんを偉そうに見せるのが仕事らしい。

「脅し屋」:その仕事が脅迫的な要素を持っている人間たち。 例として、化粧品の CM に出ている女優の映像を加工をする仕事を上げている。 映像の加工という仕事は、昔は映画の宇宙船をリアルに見せて、それを観客に見せて感動させるのが仕事だった。 ただ現在は女優の顔のシミを飛ばして肌を真っ白にして、それを CM として流してテレビの前の人の肌に欠陥があるように思わせるのが仕事である。 これも脅し屋に分類される。 他にもコールセンターで営業電話をする仕事に一部も脅し屋に分類している。

「尻ぬぐい」:組織に欠陥が存在しているためにその仕事が存在してるにすぎない雇われ人である。 例として、大学で部屋の工事を頼んだのに大工は来なくて大工が来ないことを謝る人がきたという著者の経験を述べている。 この謝だけの人を尻ぬぐいと呼んでいる。 謝る人を雇わずに大工を雇えばいいのではないかと書かれている。

「書類穴埋め人」:組織が実際にやっていないことをやっていると主張できるようにすることが主要ないし唯一の存在理由であるような仕事である。 例として海外の企業が不正な取引を実施していないかを調査する信用調査会社を上げている。 この信用調査会社は実際にはネットで 1 時間や 2 時間調べた内容を、専門用語をたくさん使って報告書を書くことで成り立っている。 実際にはほとんど企業の調査などしていないが、調査していると主張できるようにするから書類穴埋め人に分類される。

「タスクマスター」:タスクマスターは二つに分類される。 第一類型は、他人への仕事の割り当てだけからなる仕事である。これは取り巻きの亜種として分類しても良い。 第二類型は、ブルシットジョブをしている人を監視して、新たなブルシットジョブを作り出す仕事である。 例は長いので省略。

二次的ブルシットジョブとは、ブルシットジョブで成り立っている会社のビルの清掃や電気工事を請け負う雇用形態のことである。 この仕事そのものは清掃員や電気工事士であるためブルシットジョブには分類されていないが、そもそもブルシットジョブで成り立っている会社が存在しなければ、清掃員や電気工事士は雇われないため、二次的ブルシットジョブと呼ばれる。

感想

ブルシット・ジョブの分類をみた。 生活してると身の回りのかなりの割合がブルシットジョブに分類されている気がしてくる。 CM は半分ぐらい脅し屋だし、やってる感を出すための書類穴埋め人や、何もしてないタスクマスターも見られる。 むしろ現代社会ではブルシットジョブでない仕事をすることのほうが難しいのではないか。

3 なぜ、ブルシット・ジョブをしている人間は、きまって自分が不幸だと述べるのか?

メモ

この章ではがツライ理由について述べる。

大学時代のアルバイト経験で、仕事を効率的に終わらせすぎて、時間が余ってしまった経験を述べる。 仕事が終わったため休んでいたら、雇用主に見つかってひどく怒られたと述べる。

この話から、現代の仕事は雇用主に対して時間を切り売りしているということがわかる。 そのため、仕事中は常に雇用主に対して忙しく見せることが求められる。 なぜなら雇用主はお金を払っているため、時間を無駄にしているアルバイトを見ると怒りを覚えるからである。

こうなるとアルバイト側は、雇用主に対して忙しく見せるという演技をし続けなければならない。 この演技が、アルバイトに対して多大なストレスを与える。

ブルシットジョブがツライこともこれと同義である。 被雇用者本人は、自分の仕事が無意味であることを理解しながら、それが意味のあることだと取り繕わなければならない。 その取り繕う部分が多大なストレスを与えるのである。 なぜなら仕事が無意味であるとわかっていながら、それを忙しそうに嬉しそうに取り繕いながら続けることは、まさに奴隷の振る舞いだからである。

感想

時間を切り売りして賃金を得るということが、現代の労働のつらさになっていることがわかった。 仕事がないのにも関わらず、仕事があるように見せ続ける演技をするというツラさ。 仕事を効率的に進めても、労働が終わらないつらさ。 確かにどちらも経験してきたが、その本質に時間を切り売りしているということがあるとは思わなかった。

大学の TA は余った時間は研究してくださいっていうとても親切な雇用形態だったので、現代社会では天国みたいな労働だったんだなぁと思う。 TA の時間中に研究して論文 1 ページぐらいになった発見あったなぁ。

4 ブルシット・ジョブに就いているとはどのようなことか?

メモ

3 章では、時間を切り売りすることで、アルバイトが雇用主に対して忙しい演技をし続けなければならないというストレスをみた。 4 章では、そのストレスがブルシットジョブの被雇用者に対してはどのように作用しているのかをみる。 この章では、ブルシットジョブについている人が、全く価値のない労働をしている時にどういったことを考えて平常心を保っているのかを、例を紹介しながら述べている。 ブルシットジョブをしている人は、上司が自分が仕事をサボっていることを知っているかを知らないし、そもそも自分たちの労働に社会的価値があるかを議論することが会社の中ではタブー扱いされている。 そういった状況の中で人々は、創造性や想像力を失っていっている。

感想

ブルシットジョブについている人たちの精神状態が議論されている。 みんな、サボる方法を見つけるか、仕事を辞めるかしている。 また、上手に振る舞う人は、自分の仕事が無意味であると自覚しながらも、社会的に意味のあることの実現のために無意味な仕事をし続ける人もいる。 例えば教授とかはそれだと思う。申請書を書くことが無意味だと自覚しながらも、自分のやりたい研究のために申請書を一日中書き続けている。

5 なぜブルシット・ジョブが増殖しているのか?

メモ

これまでの章では社会に存在するブルシットジョブを観察して、その性質を議論してきた。 この章からは、なぜブルシットジョブが社会に蔓延しているのかを議論する。

経済学の原理から考えると無益な仕事はたちまち駆逐されて、価値のある仕事のみが残るはずである。 我々の頭にはこの常識が当たり前に存在している。 そのため、無益な仕事がこの世に存在するということそのものが、我々直感に反している。 ただ、実際に世の中にはブルシットジョブで溢れている。

その原因は、金融支配によってもたらされるあらゆる次元での競争ゲームの導入によってもたらされるとしている。 金融支配によって様々な分野で競争がもたらされてきた。 それによって、社内のプレゼン大会で綺麗なスライドを作り競争したり、研究者が助成金の申請書に時間を費やしたりしている。 このような組織内のマーケティング競争によって、無益な仕事が増殖しているとしている。 また、マーケティング競争は組織内で無意味な肩書を多く生み出し、それによって組織の封建制が強化されているとしている。

感想

確かに、経済学の原理は 50 年ぐらい前までの工業生産に対しては有効に働いていたが、現代社会では全然有効に働いていないように見える。 特に、本書で紹介されていたハリウッド映画の企画会議などはその典型のような気がする。 不用意に競争のゲームを作り出すことは、無益な労働の生産にしかならないということか。

6 なぜ、ひとつの社会としてのわたしたちは、無意味な雇用の増大に反対しないのか?

メモ

労働の社会的価値とその労働に支払われる賃金には反比例の関係があるように見えることについて考察を行っている。 キリスト教における労働や昔のイギリスにおける労働から労働の価値について考える。 その後、現代の労働では社会的に無価値な労働ほど賃金が高くなる傾向にどう繋がるかを述べている。

感想

大学教授みたいな仕事は社会的に意味があるからみんななりたいので安くてもやる人がいるって単純な話のような気がする。 せっかくブルシットジョブを 5 つに分類したのだし、それぞれのブルシットジョブの賃金やその増大傾向なども考察して欲しかった。

7 ブルシット・ジョブの政治的影響とはどのようなものか、そしてこの状況に対してなにをなしうるのか?

メモ

ブルシットジョブが存在することによって、うつ病が発生したり社会に対立が起こったりするため、ブルシットジョブは持続可能ではないと述べる。 ただ、ブルシットジョブを社会から無くすことは非常に難しいとしている。 そのための解決策の一つとしてベーシックインカムはあるのではないかと最後に付け加えている。

感想

確かにブルシットジョブを人類がし続けることは持続可能ではないと思う。 環境問題もブルシットジョブを減らすことで相当解決に向かっていくと思う。 ただ、本書が述べているベーシックインカムの実現は非常に難しいと個人的には思う。 人の価値観を一度に大きく変えないといけないから。

おわりに

資本主義が進んで多くの仕事がサービス業になってしまった。 サービス業とは、相手の気持ちを察することである。 サービスすることが重要なので、よりサービスしてる感が出るように、丁寧で重厚なパワーポイントを作ったり、より苦労して考えたことがわかる文章を用意する。 その方がサービスをされている感が出るでしょう。 サービスを受ける側が、それが簡素で誰でも作れるようなものを提供された場合、サービスを受けている感じがしないので、お金を払いたくなくなる。 こんなことを 50 年近く続けたのが現代社会である。 どうやたらこの状況を抜け出せるのだろうか。

LLM が発展したら、LLM によってブルシットジョブを置き換えようとするだろう。 その際に、人はブルシットジョブをさらに創造するのか、それともブルシットジョブをが整理されてそもそも働く必要がなかったことに気づくのか。 前者の方が社会は安定するが、後者の方が地球には優しそうではある。